懶惰宗他力本願寺

自らの力によらず、何かの力すなわち他力を頼み怠惰な生活と往生を願うことを要旨とする懶惰宗の本山、及び架空の宗派。

Topics of discussion in the third week of November

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11月3週 脳内会議
必要なくなったらしまっちゃう



  • 他人の制作途中の絵について言及する人間の心理とは

数日前に自宅の習作が一応終わりを見たから、次回作を教室の方で描いてみようということになり、描いていたら「んん~~~~これはまたすごいねぇ~~~」という音がきこえてはたとその中年男性の存在を思い出したのだ。そういえば以前にもこの中年男性はわたしが初めての油絵で試行錯誤して自分でもわけわからないところに謎の言及をしてきた中年男性だった。そして今回は通算3作目だが相変わらずわたしは行き当りばったりで彩色しているし、下書きはちゃんと描いた(つもりだ)けど後から変えるかもしれないし、この作品についてはコンセプトを一から十まで話してしまったら引かれてしまうかもしれない、そんなむやみやたらに引かれる趣味はない、ということで感謝か謝罪しかできない機械に成り下がった。そもそも描いてる本人でさえ完成イメージが固まっていないものを語ることはできない。また、そもそもあまり会話したことがなく、かつわたしよりも明らかに絵画について詳しいですよという雰囲気をバチバチに放出してくる中年男性に果たしてわたしのような雑魚は何を言えばいいというのだろう。何をいったらこの人は満足するのだろう。どんなコメントをしてもその人の意に沿うコメントに成りえないのではないかと思われた。また、その人の制作途中の絵を見てとくに魅力を感じなかったが、これはわたしの観賞力によるものなのか、作者の技術か表現力によるものなのかまったく判定ができない。もしかしたら、わたしもその人の絵を見に行って、わぁすごいですねどんなコンセプトで描いてるんですかというやりとりが要求されているのかもしれない。でもそこからまだ下書き状態の絵について語れるのか、少なくともわたしにはできない芸当である。今度教室にいくときまでに何かしらの案を考えておく必要がある

  • 脇下一族列伝は泣ける

ファンアートの類、普段はまったく見ることがないんだけど今回は元ネタ投稿者が見て泣いてるからもしかしたらと思ってもまだ見てなかったのに、なぜか今眺めて泣いているというアレ。碧流丸関連の漫画とかはとくに泣かせてくる。なぜファンアートを見るに至ったかといえば、それは某卓を1から最新に追いつこうとして観ていたらPLのひとりが商業漫画家で、その商業漫画家が卓用に描いた絵の中に混じって脇下一族列伝(脇下工業高校編)があって、あ、いいなあと思ってタグ検索したことから始まっている。なんかこのゲームと動画シリーズに関しては妄想=気持ち悪いどころかほとんど妄想から始まってるようなものだから、限度はあるけど基本的には妄想爆発させても馴染む感じがある。あとたぶん単純にゲームが優れている

  • 他人の毛について言及する人間の中で自分の処理状況に自信を持てる者は何割いるのか

おそらく男性の毛を気持ち悪いという女性は自分の毛は処理している可能性が高い。というかそもそも女性の方がすね毛剃ってる確率が高い。しかし、女性の毛が一定量生えていたということについてマイナスの感情を抱く男性は自分の毛をつるつるに剃っているのだろうか。剃っていないのであれば、その人はなぜ相手の毛については気になるのに自分の毛についてはまったく気にならないのか。自分の毛は無としてとらえられるのに他人の毛は汚物のように見えてしまう人間の脳は生得的なものなのだろうか。また、ちょっと体毛に気を遣っていただきたいという旨、もしくは剃ってほしいまたは剃ってあげましょうかと提案することはできないのだろうか。そもそも人に名前をきく前にまず自分から名乗れの理論でいくと、人の毛をとやかく言う前にまず全身脱毛してからこいということになるような気がしてならない。人の毛をきたないと思う人間の中に自分の毛はきたないと思わない人間が含まれているのがなぜか、とただそれだけなんだが、とりあえずデリケートゾーンの毛を剃ることで数日後に発生する不快感を一度体験してから再考してほしい、そのあと脱毛サロンに行く金を出してやったらいい。でも永久脱毛してしまうと、万が一無処理が主流になったときに、自分の強い意志とは別の理由で全身永久脱毛をしてしまった人間はどうすればいいのだろう。わき毛ウィッグとかすね毛エクステとかのビジネスがはじまるのかもしれない

  • 食習慣の不一致は金銭感覚の不一致と同じくらいのストレスをもたらすのではないか

〇〇味ありえないんですけどとか、〇〇かけるのありえないんですけどとか、〇〇をぐちゃぐちゃにしてから食べるのありえないんですけどとかきくけど、結婚を考えている人間がこういった情報に関して敏感にならなくてよいのか。東と西、厳しい家庭とゆるゆるの家庭、外食多めの家庭と少なめの家庭などがあるがために摩擦が発生することを情報番組で得ることができたのはわたしだけではないはずであるから、相手の人間がどういう人間かを見るなかで、自分にとって最低限生理的に受け付ける振舞いをする人間かどうかを判断することは必須だという意識は植え付けられていたのではなかったのか。先人があれだけ失敗しているという情報は情報番組で散々やっているような気がするし、こんな人だとは思わなかったという内容の中でも食事スタイルは事前に調べられる。なにしろ通常の人間は一日に三回も食事をする。合わないからそれぞれ別のものつくって食べようぜという柔軟な対応ができるなら問題は無い

  • 終わり悪ければすべて悪そう

突如毎日のように報道されるようになったある属性の事故、数年後に現世をやめるときまで事故起こした人とその周辺の人間はその事故のことを思い出さずにはいられないだろうと思うと返納したほうが結局自分のためになりそう。事故起こした人は事故起こすまで幸せな家庭を築いたり仕事で何かを達成したりして、このまま普通のよい人間として現世やめていけるはずだったのにそれはもうできないし、その人がのこしていった人間たちは法事のたびにその事故のことを思い出して、加害者としてのその人も思い出してやばい感じになりそう。法事終わりの食事会で和やかな雰囲気つくれなさそう

  • 「理解しあって受けいれる」の遥か上のレベルに「もう全然理解できないけどとりあえず受けいれる」があるらしい

イスラームについての講義受けてそう思うようになった。とくに、「郷に入っては郷に従え」は世界共通だと思っていたが(When in Rome do as the Romans do.)それも小さい世界だけの話で、ムスリム的には「よその国にきたからって宗教実践が疎かになるとかマジで許されざる」ということになる。ムスリムは今生きてる分の命だけ考えてればいいんじゃなくて、いつあるかわからない最後の審判のときに救われなかったらどう責任とってくれるんじゃということになるし、もし今の人生で気がゆるんで実践を疎かにしたらこの先永遠に地獄的な所に行かされてやばいから生活スタイル変えるわけなかった。グローバルだとかなんだとかが進んでいってはじめて起こる摩擦いろいろあるだろうけど感覚としてはやっぱり宗教が一番最後の砦になる感がすごい。でも別にみんなが同質になるほど気持ち悪いこともないなってことで、許容最大値は「理解できないけどとりあえず受けいれるわ」という態度で、これができるにはそうとうの余裕が必要っぽい

  • 英語は堪能だが英語以外の点が誰よりもめちゃくちゃな存在

別にすぐ話せるようになろうとは思ってないし無理だけど、こつこつやっていこうというモチベーションを支えてくれるありがたい存在がいる。英語以外の分野では周囲よりもセンスが低そうなことが多く、しかもそれを露呈してしまうほど低い精神年齢を発揮している。英語が上手だからといって有能ってわけじゃないんだとはじめて思わされたが、そういえばことばって誰でも使えるものだった。ただ、英語が話せるめちゃくちゃな人によってめちゃくちゃな案が通過しめちゃくちゃな結果がもたらされる悲劇っぽい小規模な事象を体験したから、自衛要素として結局は英語を学ばなくてはならないのだという結論に至った。ということと同時期に思ったのが、そもそも英語をしゃべりましょうという前に自分のことをしゃべらなきゃいけないことに対する困難があって、スポーツはやらないし趣味は合わないしで固有名詞でごまかしてやりとりするどころか日本語でも同世代と圧倒的に話が通じないということだ。興味が向いている方角があまりにも違いすぎた。で、わたしはそれが当然だと思ってるし新規情報として相手の話を面白がって聞く役にまわろうと思って相槌うってると「ユーの話もしてよ」と言われるが、しゃべると相手はその話がピンとこなくて相槌すらうってくれなくなる罠。中井貴一知らないってマジで言ってるのか?久々に雑多な人間の集団にいくとあらためて認識される。というかみんななんで確実にサッカーすきなんだろうと思ったけど英会話クラスにあえて申し込むような人間という属性ならサッカーすきな人間も多く含まれておるということなのかもしれない

  • 落語面白いと思うようになった疑惑

落語心中イッキ見した。そこで、落語に初めて触れたときにどうして面白く感じられなかったのかがなんとなく思い出されて、それは喋るのが早くて話が途中でわからなくなってしまったからではないかと思われた。落語って線画が用意されてるところに着色職人が自分の思ったように着色してく感じとか、楽譜があって奏者が自分が一番いいと思ったように演奏してみるみたいな感じかなと解釈した。背景無地にしてもいいし描き込んでもいいしっていう。ということで話がわかれば人によってどこに差をつけてるのかがわかるのであろう。とりあえず「芝浜」がじぶんにかなりきたから今度きいてみよう

  • ジャンルとしてエロを摂取している説

ホラーがすきな人は別に画面の中で阿鼻叫喚してる人たちと同じ体験をしたいわけじゃないし、いやいるかもしれないけど、アクションが好きな人はそもそも同じことが自分にできると思ってないし、でもジャンルとしてすきであるというのは普通にある。別に登場人物と同じような体験をしたいというわけじゃなくて、ただその人たちの様子をみたり話を追ったりして第三者の視点で受容している、という感覚でわたしはエロいジャンルの作品がすきなのかもしれないという説が有力になってきた。この説を採用すると過去のじぶんの表向きの言動と脳内での違和感のアレコレの一部が瞬時に片付く。つまりスケベなものを楽しんでいるその瞬間にスケベな気分になっているとは限らない、これだけは真実を伝えたかった。という考えはたぶんおおよその人にうけいれられないのではないかとも思う。たぶん「とかいっちゃってぇ~」みたいになる。あと、エロいって言わずにエロティックって言えば圧倒的にマシなのかもしれないけど、急に評論家臭くなってしまうから使い勝手が悪い