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懶惰宗他力本願寺

自らの力によらず、何かの力すなわち他力を頼み怠惰な生活と往生を願うことを要旨とする懶惰宗の本山、及び架空の宗派。

11/27 The Nightmare

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思いたったが吉日
Last Update - 161221


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「そういえば自分の近所にも危ない運転をする人間がすんでいる」ということを思い出したとき、次の4点が浮かんだ。

a 人間はいつ不慮の事故に巻き込まれてしぬかもわからない
b いきしにには関わらないと思うが問題となっている高齢者がいる
c その問題に関わるわたしの苦痛値を把握できそうな人間は見当たらない
d しんだ人間の性格や考えを周辺の人間は想像上で好きなように再構築する

これらの点について、ひとまずここに残しておくことで次のような効果を期待する。

a' あのとき書いておけばよかったというわたしの悔いの一部を解消する
b' 問題について今一度冷静になる。苦痛になっている点を洗い出す
c' ライティングセラピー
d' この問題に関わるわたしの思考と感情について誤った想像をされることを防ぐ

随時加筆修正する。

もしこの記事を読もうとする人がいたら、「この文章を読んで何かを理解してほしいというような内容ではない」ことだけは念頭においてほしい。ただ思いがけず他の人間の手によってしんでしまった場合、ここの所を自分で説明できないというのは我慢ならないという考えが起こってきたのだ。つまり、この記事は共感や理解を求めるものではなく(おそらく読んだところで共感を得られるものではない)、わたしのしんだ後にわたしが生前に感じていたものに対して各々が独自の尺度でアプローチすることを禁ずるものである。「こんなことでしんでしまうのならいきているうちにもっと○○してやればよかった」という台詞があるが、この問題に関しては、誰かを「してやればよかった」という余韻に浸らせることはしない(単に「○○したかった」というのとはまた別である)。してやればよかった、ということはつまり何かをしてやれる余地があった、何かをしてやれる可能性が自分の中にあったという発想が根本にある。だがそれは言い換えれば過信であって、してやれる余地はありませんでしたよという返答としてこの記事を残すのである(読んだ結果、何かしてやれたと考えたのであればそれはもう好きに考えてもらって構わない)。だからわたし以外の人間は少なくともわたしがいきている間にこの記事を読む必要はないし知る必要もない脳死、植物状態についてはその限りではない。


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おはようからおやすみまで不快

朝起きて夜寝るという理想的なサイクルをすると、祖母の生活サイクルと一致するため遭遇率が増える。朝から祖母と母が何か言い合いをしている声で目が覚め、アラームの時間よりも少し早いという一番辛いタイミングで起床せざるを得ないことがあった。また、祖母は夜中にトイレに起き出すことがままあるが、足音を抑えて歩く、ドアを静かに閉めるといった発想がないため通常以上の騒音が響く。そのため必然的に、邪魔をされず快適に生活できる時間(午前1時~午前5時)がわたしにとってのゴールデンタイムとなる。しかし、こうした生活をしていると講義の時間と一致しなくなってくるため大学に通うのも一苦労といった状態になる。また、母に健康的な生活をしてほしいと要求される。ちなみにこの生活サイクルは、例えば夏休みに怠惰を楽しみながらするケースならば快しかもたらさないが、一日の中で平穏を確保しようとして行うケースだと必ずしも快ばかりではない。加えて最近は、昼頃まで寝ていても「寝ていたらごめんなさい」という枕詞の後にそのときまったく聞く必要のない質問をされたり、「家の中に不審者がいるかと思ったから驚かせてやるため」に騒音が天井に響いたりするから、昼に起床するのも100%安全策とは言えなくなってきている。また、そういった理由で起こされたということは起き抜けに説教をしなければならないということでもある。目覚め方が悪いということがその一日に少なからず影響することは想像に難くないであろう。現状でわたしが一番快適に眠りに落ちていられる瞬間は、炭水化物と過度の飲酒の組み合わせによって寝落ちしている2~3時間であり、その瞬間は夢を見ることもなく脳が休まっている感じを得ることができる。睡眠の前後に不愉快な思いをすることがここまで人体に影響を与えるとは思っていなかったというレベルで大きな負荷になっている。

助言は聞き入れず、助力を求める

風邪をひく、待ち合わせに遅れる、風呂に入りそびれる、食事の用意ができない等の結果は、人からの助言を聞き入れなかったことによってもたらされている。そしてその尻拭いをするのは自分ではないのである。

食卓を囲めない

食事をしていると、一つひとつの料理に「○○が○○でおいしい」、その後食材について「この野菜よく煮えてる」等の言及が行われる。これがかなり鬱陶しいことに加え、その評価自体が的外れである。例えば、夕飯にパスタが出たときに「○○で食べたのよりよっぽどおいしいわ」と言ったが、そのとき夕飯のパスタに使われていたのはインスタントのソースであり、かつ祖母が過去にどこかの飲食店で食べたソースとはまったく別のソースであり、単に選んだメニューが祖母の口に合わなかっただけということがある。わたしがワインを飲むと「ワイン飲んでるのね」と声をかけてくる。一目瞭然のことを言われても困るのだが以前は毎回言われていた。そうしてわたしが何か返答すると「あなたは楽しみがあっていいわね」「お酒を楽しんでるのね」等の言葉を発するのだが、この「楽しんでいる」というのが何とも言い難い無粋さをもってわたしに向かってくるのである。ただ夕食に合わせて半ば日常として酒を飲んでいる自分が改めて「楽しんでいる」と乱雑に記述されるのが我慢ならないのである。そうして記述されることで羞恥に近い感情と共に、脳内にある「楽しみ」に不潔な手で触られているような感覚に陥るのである。そうすると次第に飲んでいる酒の味がわからなくなり、食事の味がしなくなり、食事が楽しくなくなっていく。食事をしながら母とドラマを観ることも難しくなった。ドラマの展開について不毛な説明をさせられるからである。5秒見ていればわかるような登場人物の立場や家族構成、途切れ途切れにしかドラマを観ていない者にはわからない行動、今流れているシーンは昭和何年なのか等について質問される。さらに悪いことにはその質問をしておきながら、結局その答えには興味が薄いため記憶しないのである。そうしてまた同じような質問をする。こんなことが行われていてはおちおちドラマなんて観られない。わたしは自分の部屋で食事をとるようになる。一人の人間がしぬことを願いながら食べる食事もやはりおいしくない。

絵について

わたしの描いた絵について過剰に褒める。それどころか絵について意味や感情などの所在を執拗にきいてくる。わたしは絵なんて見た人が勝手に良し悪しを感じたり、イメージを思い浮かべたり、制作者の意図を想像したりするものだと考えているから、専門家でもない一般人がいちいち「これはこういう意味があって」というのはあまり好きではない。しかも話題にされているわたしの絵はそもそも意図なんてなかったのである。でもいくら「ない」といっても「内面から何か表現されているはず」といったような妄言を吐くばかりで、「ない」という制作者の意図は完全に無視される。加えて、もし内面から何かしらが表現されているのだとしても、祖母は非常に自己中心的な人格の持ち主であり、自分以外の人間の感情はほぼ理解することができないため、わたしの深層心理に分け入るといった芸当はできるはずがない。次回作を待っていると度々言われるが、実はもう自室や外で描いている。ただ、それについて口に出さないようにしなければならないことに神経が余計に使われる。

接触事故

台所のような狭い所ですれ違うときはとくに身体の一部をかすめていくことが多い。また、人の身体をクッションを押しのけるようにして触ることがある。わたしは人に触られることにかなり嫌悪感があると同時にびっくりしてしまうために、祖母が不用意な動きでわたしにぶつかっていくと一瞬で不快感が増幅する。それを注意すると決まって「ごめんなさいね」というのだが、まったく改善される気配はない。また、わたしが何かで注意するときに「ごめんなさいね」といえば済むのではないかと思っている節がある。説教から逃れたくて、本当は反省していないのに口先だけで謝罪する子供と何ら変わりはない。それだけでわたしの説教は終わらないということをまったく学習していない。平穏は言葉ではなく本人の行動によってしかもたらされないのである。

呼ばれる

祖母が変な妄想にとらわれて交番の世話になることがある。近隣住民に変なことを触れ回って代表者が出てくる。そういうときに母が呼びだされる。母が仕事で疲れていても、ドラマを観ながら休憩しようとしていても、昼でも夜でも呼ばれたら行かなくてはならない。そして連れ帰られてきた祖母がまた筋の通らないことを言って母がわめく。もう知らないと捨て台詞を吐く。そんな感情剥き出しにしてはなめられるだけなのに。どうしたら母が呼ばれなくなるだろうと考える。

あちらがたてばこちらがたたない

母は祖母のためにわたしの人生が台無しになることはいやだという。かといって祖母を一人にさせておくわけにはいかないから、結局はわたしの人生が台無しになる可能性のあるルートしか選べない、ということをわたしはわかっている。だから母がわたしの人生を台無しにしないように何か考えるね、というのはそもそも無理なのである。無理なのだから考えなくていいというと不服そうな顔をされてしまう。でもたぶん母に何か別のルートが考え出せるのだとしたら、その前にわたしが考え付くと思われるし、わたしはもう散々考えてみて、忘れたころにリセットして考えてみたけどだめだったのだ。つまりその選択肢を考えるまでもなく詰んでいる。

言動の矛盾

物理的に思考回路ショート済のためか、強がって一人暮らしをしていた寂しさを拗らせたためか、そのどちらもかはわからないが、祖母はストーキング被害にあっているという妄想の世界にいる。そのため、ただの通行人をスパイのようなものだと思って不審者同然の行動を取る。また、自分がどこにしまったか忘れた金を「盗まれた」と言い、近所で工事があると自分を狙っている何かの音だと思って騒音を出す。これらの時点でかなり強いストレスがわたしを襲っているが、そもそもストーカーされていると言っている割には根本的に防犯意識が低い。もし本当に何かの犯罪に巻き込まれていたとしても、そういった人間がすべきことをしていない。怠惰であるために明るい時間に外出の用事を済ませる努力をしない。開けたら外の通行人に丸見えになってしまう窓を開ける。わざわざ外から見えそうな空間で着替えをする。鍵を閉めるのが苦手と言って2つのうち片方を閉めないことがある。「わたしは妄想とは言わないけれど、何か起こっているという割には防犯意識が甘い点がある」と指摘すると、祖母は言い訳を始めるが、ノープランで始めた言い訳の理屈が通るはずもなく、わたしに何も言えないとわかると、痛めつけられている人のように目を閉じて耐える演技をし始める。「もうこの話は終わりにしましょう」と言う。この話をするわたしとしてわたしを無意味に目覚めさせたのは誰なのかと思う。祖母がおとなしくしていれば、祖母の周りで何も起こることはないのである。

雑なレッテル

若い人はたくさん食べる、男のくせに繊細であるといったレッテルを貼りたがる。そのくせ自分は高齢者らしくふるまうことを嫌う。おばあちゃんと呼ばれたくないから名前で呼ばせる。誰にでもある呆けという現象が自分にだけは起こるはずがないと思っている。その根拠は「本を読んでいるから」というお粗末なものであり、読んでいるという「本」も意味不明な思想に関する本や内容がほとんどない雑誌を指しているためまったく意味を成していない。

自分に適する程度を上質とみなすおこがましさ

自分に似合う服、自分の口に合う味の濃さ、甘さ、自分が立派だと思った人間が上質であり上品であり最善であると断定する。その基準を自分の中にとどめることはない。自分にとっておいしいものは他人にとってもおいしいといった理屈を至極当然に持ち出す。また、わたしと母がケーキのような甘いものを食べているとする。祖母は甘いものがあまり好きではないにもかかわらず欲しがる。「やっぱり食後に何か甘いものが欲しいじゃない?」ここまで歳を重ねておきながら、未だに「自分にだけ取り分がない」ことに不満を抱くからである。意地汚いのである。そして甘いものを分けてやっても、祖母の好む範囲の甘さでなく「やっぱり甘すぎた」「少しで十分だった」とのたまう。少しで十分、ではなく少しも必要なかったという方が適切な表現だと思われる。

偉人に頻繁に刺激されているという内容の言動、反映されない行動

偉大な業績をのこした人物、過酷な人生を生き抜いてきた人物の話に飛びつく。その人物の話をしたがる。いかに立派な人間であったかを自分のことのように語る。自己犠牲、努力にまつわるエピソードに共感し尊敬の念を抱いている。しかし実際はそういう自分に酔っているだけなのであって、祖母の実際の生活における自己中心性、無神経、怠惰、傲慢といったものが改善に向かったことはない。あくまでも努力の結果偉大なことを成し遂げた人間の考えに共感し、「わかっている」自分をつくりたいだけである。

高貴な自分としての演出を台無しにする行儀

いつからか一人称が「わたくし」になり、言葉遣いもどこか単なる敬語ではなく上品さを演出しようという雰囲気の口調じみてきたが、家ではどうなのかというと、食卓ではなく歩きながら食事をすることがあり、水虫の疑いがある程度に不潔な足を洗わず、使ったティッシュを捨てるのを忘れ、スリッパは脱ぎ散らかし、白髪のまみれた櫛を食卓に置き去りにする。指摘すると支離滅裂な言い訳をする。外面をつくろうためには最低限の内面が必要だということが祖母を見ているとわかる。実体が粗野な人間が品のよい振る舞いをしようというのが無理な話なのである。

不快な音声情報

人間には聴いていると不安になったり不快になったりするメロディーがある。祖母がしゃべっている音はわたしを不快にさせる音の並び方をしている。そのため、話している内容が聴こえなくても別室からかすかに聴こえるメロディーに悩まされる。これは不快な内容の会話を繰り返してきたという先入観とは別の所から発生してきている不快である。その音でふいに話しかけられる度に気力を奪われる。わたしが話しかけようと思っているときはまだいいが、例えば気が他にいっているときに黒板に爪を立てて出す音が聴こえたら不快になるだろう。それが祖母の声なのであって、そうして話しかけられた台詞は相手がどう答えたらいいかわからないものであり、これを繰り返していくと、何かしたいという気持ちが失われていく。外から見れば、ただやる気がないのを祖母のせいにしているという人がいるかもしれない。どうせ怠惰な学生が学校に行きたくない理由をこじつけているだけだという人がいるかもしれない。でも自分が一番やる気が出ないときにさえできていたことが疎かになっていく感覚は、怠惰というよりも焦燥感や恐怖感をともなう感覚である。しかもそうした感覚があるのに行動ができないということが起こる。普段やる気がないといったときに沸きあがるのはせいぜい微弱な罪悪感程度である。

強靭な内臓

高齢になっても健康を保っている人のヒミツは...ズバリ胃が強い!!!という内容のテレビ番組、書籍がある。祖母は年齢の割によく食べる。というか食べたがる。胃が強い。つまり少なくとも胃の弱い人間より長生きする可能性が高い。"長生きする"という要素が人を苦しめる要素になるとはわたしは今まで考えたことがなかった。

媚びるための見送り

寝不足の身体を叱咤して身支度をしやっとのことで外出をしようというときに、このような所業を重ね続け不快を積み上げてくる人間が玄関まで見送りにきたら、一日のスタートが本当にどうしようもないほど低い地点に落ちる。本人は自分が良い事をしていると思っている。やめてほしいと言ってもあいさつなんだからと言ってきかない。むしろわたしに不愉快な思いをさせたという自覚があるときは積極的に見送りが行われるため、見送りで挽回しようとしている可能性がある。つまり質の低い媚びである。わたしが外出時間前に慌てている所に緩慢な動作でまとわりついてくるような移動をする。これをふりきって文字通り家を飛び出すと、駅まで歩きながら涙が出そうになる。このまま何も聴こえないところまで走っていきたくなる。祖母と同じ血が流れていることについて涙が出そうになる。同じ遺伝子によってわたしも似たような老人になるのではないかと想像しおびえてしまう。どうやったらこのぐるぐるから逃れられるのだろうと考えてしまう。

実家が安住の地とは限らない

わたしに残されている選択肢は、常識の範囲内で考えるならば、現状で「一人暮らしをする」「心配だから実家に残る」の2択である。心配というのはいろいろな意味で発生してくるが、結局今は一人暮らしをする方向で考えることに決めた。例えば実家に残った結果わたしの人生が台無しになるということが起こった場合、母はわたしの人生を台無しにしてしまったという加害意識に苛まれることになるであろう。しかし、わたしがこの家を捨ててひとりで逃亡した場合、発生する可能性があるのは愚痴相手がいないことの辛さ、娘がいなくなることの単純な寂しさ、それらがエスカレートしたとしても何かしらの被害意識なのではないかと考えられる。おそらくまっとうな人間は被害者であることより加害者であることの苦痛のほうが大きい。だから私が捨てていくほうがどちらかといえばマシという結論に至った。また、もし心配だからといって残ったわたしもだめになってしまったら世話が必要な生物が2体になってしまうというおそれもある。総合的に考えて、当初の予定通りわたしが家を出ていくほうがよい。

12/4

祖母がここに滞在するようになって史上最悪なことが起こった。昼に起きて、自室でのんびり配信を聴きながらすごしていたら、突然どたばたと物音がした。嫌な予感がしてリビングに行ってみたら慌てて外に出て行った形跡、外を見てみたら中年女性と話している祖母がいた。慌てて近づくと、中年女性は急に表情を変え、わたしにいきなり身分証を突き付け「○○(名前)です!これを見せればいいんでしょう!」とキレ散らかしてくるではないか。なんかやばいのは一瞬でわかったため謝罪し、祖母を無理矢理引き剥がしたが、まともな頭の人間が出てきたことで中年女性の蓄積されていた怒りが発動、具合の悪い大学生の息子を病院に連れて行く所だというのに不審者と疑われ、積んである荷物の検分を要求され、身分証を要求され、拒否した所警察を呼んでもいいんですよと脅迫された、ていうかむしろこっちが今警察呼んでもいいんですけど、不審者がいるってさあ、本当に最低、ありえない、やっぱりここ治安悪いんだね(?)などという非難声明が、午後のまどろみきったわたしの脳にクリティカルヒット、表情筋を壊死させたまますいませんすいませんといいながら、愚図る祖母を引っ張って家に押し込み、言い訳をする祖母に対して今年最高降水量の涙を垂れ流しながら静かに外出禁止を通告することになったのだった。まあ前回、前々回も物音は自然にするからとか、もしそういうのがあってもあなたに対処能力はないのだからひっそりしているようにとか、全部勘違いだった自分の通算成績の悪さを認めないならもうただおとなしくしててくれとか、散々念を押して、祖母の妄想には触れず(母はすぐこのニュアンスっぽくしてしまうために、祖母は母のことをただ自分の見たものを信じてくれない人と認識している)、人の家を危険にさらしたくないならただおとなしくしていてくれと約束したんだけど、祖母は約束を忘れてはいなかったので、祖母にとって約束は破棄するものだったらしい。破棄した結果がこれなわけで、もし本当に不審者とか悪人だったら完全に返り討ちにされているし、あなたは実際、犯罪の解決ができるほどの思考能力はない、というか頭が悪い、防犯の知識もない、貧弱な老体で犯罪者と対しようとする短絡的で愚かな行動を取ってしまう程度には馬鹿で、体力もないのですよ、今更ながらここまでなんのクッションもない言葉を言うの初めてなんじゃないか?どっちにしろ効能は同じなんだろうが。しかしまあぼんやりしているときに突然激怒されるっていう衝撃があまりにもきつすぎて、自分のやったことで怒られたんじゃないから不意打ち感すごいし、そもそも人間として最も擁護したくない人の代わりに怒られてるし、むしろ本当にその中年女性が犯罪者でそのまま車に乗せられて数日後遺体で見つかる展開の方がわたしにとってはありがたかったが残念なことにただの中年女性だし、やっぱり治安が悪いんだねっていうの大声で言うから近隣住民にも悪いし、でも近隣住民の中高年の顔ほぼ知らないし、もう祖母が外に出て中年女性と話しているのをわかっていながら放置して警察呼ばれたほうがよかったんじゃないかしら、どっちにしても近所における肩身的なものは完全に狭くなってるけど、わたし孫なんで保護責任者じゃないんで全然わかりませんわみたいな感じで母の仕事先に電話させて丸投げして、その中年女性に腑抜けた顔なんて見られずにそのままひとりで家を出られたらよかったのに、どうしてこう余計な良心を抑えきれないのか、なぜわたしは今目の前にある頭蓋を右手で破壊しないのか、なぜすぐそこにある酒瓶でアキレス腱を破壊しないのか、いやあ理性的すぎるのも問題ですねとか思いながら何かやって気を紛わせようとしたけど中年女性のヒステリーが頭から離れなくてつらくて何やっても全然手につかないから、この文章をネタが新鮮なうちに書いているという次第。ちなみに母に経過を伝えたら、説明の割と序盤で大声出しはじめて祖母を叱責し、わたしに謝罪させようとしたがこういうのも止めないといけないため、事情を説明するのも一苦労である。だって母が大声でわめき散らしてそれが近所の御家庭に聴こえたら、あの家に約一名やばいのがいるどころじゃなくて一家全体がやばいみたいな感じになるじゃん、みたいなこと言っても少し経つと声のボリューム上がっちゃうしこれもう制御できんな。一番わめく権利のありそうなわたしが穏やかな口調を保っているのだからそっちに合わせてほしいものだ。母は「恐れていたことが起こったってわけね」と半ギレで言っていたが、わたしはもう数ヶ月前、もしかしたらそれ以前から完全に祖母は終わってるしだめそうだから早急に施設に入れる相談したほうがいいとか主張してたときがあったけど、その時母は割と「でもわたしも忙しいし」みたいなことを口にできる程度の余裕を持っていたので、今「起こったってわけね」とか聞くと、起こってからじゃ遅い派の人間からすると~みたいなこと言いそうになるし、散歩させないほうがいいんじゃないかって言ったときも少し散歩しないとますますだめになるみたいなこと言われたし、でも今こんなこと言ってもたぶんあまりおぼえてないから、そんなこと言ってた?言ったにしてももっと強く言うべきだったんじゃないの?的な感じになり新たな戦場ができる可能性が高い。極度に悲観的な人間とそうじゃない人間は「やばい」と思うタイミングがあまりにも違いすぎるために提案が通りにくいという一例である。面白い配信観ながら絵を描こうって感じでわたしの一日が始まろうとしていたところだったのに、もう今日は何もフルで楽しめる感じがしない。たぶん明日もだめで、ヒスった中年女性がもし明日かなんかに怒鳴り込みにきたら今週一週間だめそうな未来が広がっている。いきなり身分証見せられたとき名前見ておけば先手で謝罪に行けたというのに、とっさの判断能力がなかったためにそれもできないから執行を待つ囚人の気持ちで待っていなければならない。お腹が空いているのに何も食べたくない気がする。

≪追記≫ こういうイベントがあると急に病院に説明しやすくなるという利点があった。ちょうど母が祖母の入院計画を進めはじめたところだしタイミングもいい。ストーカーの被害者が殺害されてはじめて警察が本格的に動くみたいなアレで、客観的に見て決定的なことが起こったことで入院期間が短くなる判断をされる可能性も低くなるのではないかと思われる。身内の中で選ばれし犠牲者がよりによってわたしかよというのはあるが。まあなってしまったものは仕方ない。むしろ、幻覚が悪化して、薬物中毒者が自分の命を狙う人間と勘違いして通行人を刺すが如く傷害事件を起こすより何百倍もよかった、と思うことにしよう。

≪追記2≫ 知らないおばさんのおかげで無事に外出恐怖症となったため、一番気に入ってる教授の講義まで休んでしまった。知らないおじさんおばさんから理不尽に怒鳴られるイベントが発生するとショックだがその現場に近寄らなければ次第にそのことを忘れられる、というのは誰にでもあることかもしれないが、今回の現場は自宅前だったために外に出るの怖くなっちゃった系学生が爆誕したのである。というか今思い返すと、わたしが同じ立場に置かれても話が通じそうな他人に怒鳴ることはないから余計に衝撃が大きくなってしまったのであろう。とりあえずあしたも休むとまずいため美容室の予約を入れ、美容室ドタキャン時に発生する罪悪感と家を出る恐怖感を天秤にかけたら前者の方がやや重くなり外に出られるのではないかというテストをしてみる。

心配という名目で行われた挟撃

祖母に関する一連の問題のために、わたしは色々なことを諦めた。今年分の計画、計画まではいかないが想定は放り投げた。たとえば、今年度で最後の大学だからとくに(他学部を含め)色々な分野の講義をとっていたが必要最低限に近い数の講義に出るだけでやっと、時間があるうちに受験勉強のノリで英語の勉強をしようとしていたが記憶力が一時的にかなり低下しているため単語がなかなか脳に入らず停滞、絵画教室へコンスタントに通うことができない、今までになったこともないような疾患、できなかったような肌荒れの発生、生活サイクルの崩壊、やたらに甘いものが欲しくなりそのまま口に入れるため体重が増加、酒量が倍増したことによる金銭と内臓への負荷、こういった事象にわたしはなるべく抵抗しない、頑張らないことにした。なるべく流れに身を任せ、したい、したくないという直感や欲望が向いた方に自分を流す。なぜなら抑うつ状態だからである。しかも現状では自分がどうこうして解決するものではなく外的要因が100%で、つまり外的要因が取り除かれるか、わたしが外的要因と物理的な距離を置くことができるまでは何をやっても無駄だということがわかっている。いくら上品な香を焚こうが、強力な消臭剤を設置しようが、いまそこにある死体を片付けない限りいずれ腐乱臭が何もかもを上回るのと同じである。余計な小細工をするよりも、多少の腐乱臭を我慢しつつ死体の隠滅先を模索することに専念した方が、結果的には隣人に勘づかれて逮捕される可能性が低くなるというわけである。
こうした状況で最も重要なのは「頑張らない」ことである。頑張ってもできないのに頑張り続けたり、頑張ろうとしても自分が追いつけないことに焦ったり、そうして抗い続けることによって得られる可能性が最も高いのは何かというと、永遠の眠りである。だから、もっと眠っていたいという理由で講義を休んだり、トレーニングを上回る量の食事を摂ったり、酒の量を制限するのをやめたり、調べものや勉強の資料を買っても読まなかったりしても、だめだとか、怠けているとか、見苦しいとか、もったいないだとかいう否定が真っ先に浮かぶけどそれを自分に向けるのはこらえて、なるべく何も考えないようにしてきた。卒業できない、みたいな本当にだめなラインだけを維持することを考えるようにしてきたのである。
こういった生活をするわたしに対して母はどう反応するかというと、学校行かなくていいのか、単位は大丈夫か、早く寝なさい、お酒飲みすぎ、規則正しい生活をしないと来年から大変、絵画教室に行ったら、なるべく外に出てほしい等の発言をする。はじめのうちは「祖母のために色々と我慢することが多いから、他の部分ではなるべく好きにさせてほしい」「まずいのはわたしが一番よくわかってる」と言っていたのだが、その度にテンプレ発言「心配だから」を発動され、わたしは何を言われても「わかった」と言うようになった。しかし、次第に「わかった」だけで流しきることができなくなってしまった。母の心配発言でも苦痛を感じるようになったのである。なぜなら、その心配や不安は本人が一番先に気づいていて、一番よくわかっていて、本人が一番懸念していて、それを我慢して受け入れようとしていた取り組みを、毎回律儀に無に帰すものだからである。少ない燃料のために低空飛行でなんとか辿り着こうとしている機長に、管制官が何度も何度も通常の高度に戻れと通信を入れてくるようなものだからである。若者によくある、心配とか鬱陶しいんだよババア、みたいなアレではない。心配はありがたいのだが、その心配を音声化するのを自制していただきたかっただけなのである。しかも、心配してくれて、よかれと思っている人間にこういったことを伝えるのは申し訳なく、罪悪感を抱かせるのも抵抗があったため、かなり我慢することになった。まあでも結局わたしがだめになるのを一番嫌がりそうなのも母だから言うしかなかったが。言った直後の母は予想通りカッとなり「心配するなってことね!?」みたいな感じになったが、冷却期間を置いて再試行してみたらなんとか受容されたようでよかった。母の取扱いについて学習済みでよかった。
わたしはちょっとマイナスが出たことに反応して、これ以上マイナス幅が大きくならないことを最優先し、期間限定で自分の時間や健康や感情を投げ捨てるという選択をしたわけだが、もしかしたらこうした選択をすぐできる性格の人間はかなり少ないのかもしれない。多くの人は「ここは俺がくいとめるからお前らは行け」と言われたら「でも...」と言ってちょっと立ち止まって回想シーン流したり、「やっぱり置いていけない」と言って引き返した結果ふたりで残念になったりするのである。その点わたしは選択のときに影響してくる情の割合がやたら少ないように思われる。INTP的性格が関係しているかもしれない。ともかく、心配発言を放置してわたしがだめになった場合、無理しないで、時には休むことも大事だ、治すことに専念しよう、と言われる未来が想像できた瞬間、放置しているのがいかに阿呆らしいことかということもわかり、「残念ながら心配の言葉をかけることがあなたの最も望まない結果をもたらす要因となり得る」と通告する上での躊躇値も即座に暴落してしまったのである。

12/19

「別にあなたが悪いって言ってるわけじゃないから怒らないできいてほしいんだけど、あなたもここまで大変なことになるとは思ってなかったでしょう?」ちゃんと考えた結果この質問が出てきているなんて信じたくないが、もしそうなら今までわたしがその時々で言ってきたことはまったく聞き流されていたということだろうか。それかひとつも記憶に残らなかったということか。「ここまで大変」どころか、少なくとも半年以上前の段階で「ああこれ将来悪い方向に展開したら最悪鬱からの自殺あるな」とかぽやっと考えてましたけど、もしかして「承知」的な発言も想定の甘さから出たんじゃないですかあ~?みたいなことを言われている?だとしたら怖すぎるんですけど。『家族狩り』のドラマで終了気味の家庭風景のいろいろを観ていたのでそれはないと思う、という内容を言おうとしたけどドラマ観てたのわたしだけだから無理だった。
「最悪鬱からの自殺あるな」は「最悪」の場合「そういう可能性がある」だが、この選択をしないと「最悪」が「社会的に死んで長期の鬱からの自殺確定だな」になるから、そしたらまだ前者の方が圧倒的にマシではないか、ということだったしそれっぽいことは言ったことあるはずなのに、なぜおわかりにならぬのじゃ。現代における社会的な死は本気でやばいし、自分の頑張りでどうにかなるわけないとか最優先回避対象ではないか。しかももしそうなった最悪の場合って、たとえば自分を虐待かなんかで苦しめてきた親が凶悪犯罪起こした結果犯行時の心身喪失的なアレで不起訴になってそれがうっかりメディアにのっかって自分も主観では被害者なのに社会的には凶悪犯加害者枠に入れられちゃう感じと同系統のやつだから、そんなん悲しみデカすぎて即人身事故ルートでは、というのがわたしの見解である。そういうことだから、ここまで大変なことになるとは、とかまずありえないし、むしろ抑うつ状態が自分の制御下にあるうちに一区切りついてよかった。ちなみにこれが制御下でなくなると病名がついて通院が必要になる人間にクラスチェンジすることになる。それと比べれば、頭が悪くなったり脂肪が増えたりしたのをこれから修正していく方が余程容易ではないだろうか。というのをまた一から説明したとして、とりあえず終わったことにごちゃごちゃ言うのもうやめない?ちょっと説明くどいわ~(不機嫌)みたいな展開が予想される。でもそれだと根本的な解決にはなりませんよね?これじゃ俺、将来親を介護したくなくなっちまうよ...まあ結局何かあればきっちりやろうとしてしまうだろうけど。でもたまにはそう思うことだってあるさ、俺にだってそういう経験はあるしね。

12/21 今日から俺は

生活を整える。時期的に丁度いいしとりあえず掃除からはじめよう。空きビンとかペットボトルが2日以上放置されてはならない。お勉強のリハビリもしなくては。