懶惰宗他力本願寺

自らの力によらず、何かの力すなわち他力を頼み怠惰な生活と往生を願うことを要旨とする懶惰宗の本山、及び架空の宗派。

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Life is hard.


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つらいことをつらいといって何か悪いことがあるか、いやない(反語)

複数の人間と継続的に関わり始めるようになってからいくらかの時間がすぎた。今回の社会では、自分のクソみたいな部分を初手開示していく方向性でやっているので後から失望されることはないのではないかと思われる。しかし、それでもやはり問題は出てくるものだ。

  • 休日にまで外で会うというのが

基本的に人間と会うことで消耗する民族である。そのため、土日のいずれかを人間と会うことに使ってしまうイコール休息期間の半減に繋がる、たいへんハイリスクな行為だ。しかも、最近出会ったばかりの人間と外出だなんて、気が休まらないどころか緊張が加速しすぎて疲労が爆発してしまう。さらに、現実的な未来では宿泊イベントもあるらしい。その場合について、最大限妥協した結果「個室が与えられるのであれば可」という返答をしたらあり得ないという旨の反応をされた。「そりゃ雑魚寝」らしい。すごい。わたしは他の人間と同じ部屋でなんて眠れてせいぜい2割だというのに。

  • あえて人間と仲良くしようとするのが

馴れ合い経験値が低すぎてもう何したらいいのかわからないし、そもそも必要性を感じていないためにレベリングをしようとする意志が湧いてこない。そもそも相手方が馴れ合ってきてない時点でとくにわたしと積極的に仲良くしようというテンションじゃないことは確定している。

  • 久しぶりに自問自答じゃなくなったのが

ネガティブ、気にしすぎ、自信ない、みたいな要素は基本的に「かつてはみんなそうだった」に置き換えられる。その結果、今あなたがいる地点はわたしが数百年前に通過した地点だ、みたいな認識をされているが、わたしはよくそんな強気なことが言えるなあとただそれだけでビビってしまう。わたしが「ありえないくらい」「そんなの何で考えるのかわからないくらい」気にしている、そういった経験を通過してきたのだとしたら、「意味がわからな」くはないのではないだろうか。つまりそこまで気にし過ぎてどうしようもないのは単純にわたしが経験していることであってあなたが経験したことと同じではないのだ。わたしはそう考えてしまうが、こうした考えも言い訳だとか甘えだとかに還元されていく、そんな一連の流れを久しぶりにやっているので、おっ歴史繰り返してるなという感じである。まあ結局そうではなくてもう人間の一般的なネガティブからかけ離れたネガティブ族だということがわかるまでは、言い訳甘え中二病こじれてる説なんて散々セルフでやってきた。しかし実際に他人から言われたことで、やはり理解し合えない民族間の差異だと確信に至った。

  • 理由が複数ありすぎるのが

何かをやりたくない、わたしの場合は基本的に複数の理由が積み上がっていってその値が一定値を超えたら「やりたくない」と表現することになる。だが、一般的な人間の場合はもっとシンプルらしいというのを把握しているので、わたしもそれに合わせて、色々ある理由の中でなるべくクズっぽい、だらしないっぽいものを選択して表現するようにした。しかしそこで、これって嘘なのではないかという疑念が湧いてきており理由の絞り込みにひとりで勝手に難儀している。というかいくつも理由を並べ立てる発言時間は、人間の世間話の中で与えられてはいない。過去にいくつも並べた場合の反応をうっすら思い返してみると、途中で聞くのがだるそうになる、で結局こうなんだろうというまとめに置換される、考えすぎと打ち切られる、などが挙げられる。反対に、わたしはひとつしか理由がなければ「やりたくない」ことになる可能性も低い。そのひとつが生理的にどうこうというレベルなら別だが。それこそ、ひとつしか理由がないのにすぐやりたくないなんていうのはいかんのではないかという考えになって一通り自責した後に判断が行われるレベルである。


文章化してみるとやはりこちら側が圧倒的におかしいっぽいのがわかり、相手に改めてほしいと思う気持ちがとくに起こらないのも納得できる。まああえて考えるなら、人間が生まれて死ぬまでの流れはだいたい共通で違うのは段階の先にいる者か遅れている者か、という直線的な考えは理解できないというところだろうか。そんなに同じでもない人間が集まっているからクソみたいなことが起こったりときどき面白かったりするのだから、生まれて死ぬまでもいろんなパターンのものが平行的に存在しているはずである。別に個性毎にあるとかそういうのではなくて、一番大きな枠組みにしていってもひとつではないだろうということである。そしてこんな細かい、いわゆる意味のないことをねちねちと考えていると脳が活動してしまって眠れなくなってしまうのである。